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原爆は「戦争を終わらせた唯一の鍵」ではない — 史料からの再検証

Truman’s handwritten diary entry, July 17, 1945
抜粋:Truman at potsdam: his secret dirary July 17 (19)45
“Just spent a couple of hours with Stalin. ... He’ll be in the Jap War on August 15th. Fini Japs when that comes about.” 「8月15日には日本との戦争に参加する」と言った。そうなれば日本は終わりだ。

1945年夏、トルーマンはソ連の対日参戦が日本の降伏をもたらすと理解していました。ポツダム会談期の トルーマン日記(7月17・18日)は、スターリンの参戦時期を把握していたことを示し、 戦争終結の見通しとして原爆だけに依存していない認識を記録しています。

戦後に広まった「原爆のおかげで戦争が終わった」「原爆が投下されなければ非常に多くのアメリカ兵が死んだ」という定型句はよく語られますが、 トルーマン図書館のコレクションUSSBS『Japan’s Struggle to End the War』 は、降伏が複合要因(ソ連参戦・国内政治過程・皇室の位置づけ 等)によることを示しています。

「非常に多くのアメリカ兵が死んだ」出所と限界:
・戦時指導層の一部や戦後の回想(例:Stimson, 1947)で 大規模な犠牲回避が語られたが、推計幅は大きく、それを裏付ける一次資料はない
・作戦計画(USSBS要約・作戦史 等)も、見積りは 局面・前提次第で変動しうる。
・ゆえに「原爆だけが戦争を終わらせ、非常に多くのアメリカ兵を救った」とする単線的説明は、トルーマン自身の理解(ソ連参戦で終わる)とも齟齬をきたす。

一次資料・参考まとめ

・Harry S. Truman Library — Decision to Drop the Atomic Bomb(一次史料集): trumanlibrary.gov
・Truman Diary(Potsdam, 1945年7月17・18日。NARA原本リンク案内付き): trumanlibrary.gov
・USSBS『Japan’s Struggle to End the War』(1946): ibiblio.org
・Stimson, “The Decision to Use the Atomic Bomb,” Harper’s Magazine(1947|PDF): asianstudies.org

東京大空襲 — 法と倫理から見る「都市焼夷作戦」

1945年3月10日の東京大空襲は、木造住宅地などの民間居住区を広範に焼却する夜間低高度・焼夷中心の作戦でした。 米軍の戦闘報告や戦後調査(XXI Bomber Command 戦闘報告USSBS 要約)は、軍需施設というより都市機能・生活圏の破壊を目的としたことを示します。

結論(本サイトの立場): 東京大空襲は、意図・手段・結果のいずれから見ても 民間人保護の原則に反する攻撃であり、倫理的には「虐殺的」と評価されうる。 ただし、当時の国際法の適用・解釈には限界があり、戦後に公式な法的裁定が下っていない点は、史実として明記する。

一次資料・参考まとめ

・Headquarters XXI Bomber Command “Tactical Mission Report – Mission No.40”(東京): nsarchive.gwu.edu
・USSBS Summary(太平洋戦・焼夷戦術の転換と被害): ibiblio.org
・ハーグ陸戦規則(1907)第25条ほか条文: ICRC treaties database / PDF